Cinema diary

映画日記

ペイ・フォワード 可能の王国 (2000)

ペイ・フォワード 可能の王国 (2000)

考えさせられる映画だった。

「世の中はクソである。」この言葉は作中に良く使われる。この言葉に多くの人はだいたい大筋肯定的に受け止めるだろう。

でもクソな世の中の真っ只中にいる人は世の中が変わってほしいと心の中で思っている。でも自分一人の力ではできない。そんなジレンマを抱えている。トレバー(ハーレイ)はまさにそんな状況にある。この状況を脱するために編み出したのがペイフォワード。自分が関わるほぼ全てに問題がある「クソ」な環境。ひとつひとつを自分自身で変えるのは不可能。ならば他の人の力を借りてミクロを変えるのではなくマクロを変えるという発想。

子どもならではの純粋な思考だからこそのアイデア。前提として「人を信じている」。オトナは人を信用していない。埋めることのできない隔たりがそこにある。

映画を世の中が変わってオールハッピーにはしていない。ただし変わる可能性を秘めている、また世の中がそんな「クソ」ではなく「可能性」を秘めているんだよと投げかけている。

ハッピーエンドでないが、トレバーからすると、少しでも効果があった事は可能性として考えることができた事、母が変わってくれたこと。世の中は変わらないが努力することで少なくとも自分の周りは変えれると感じたから満足した顔をしていたのだろう。

すこし方向を変えるが、最近は世間的にこの観点が極めて乏しくなっている気がする。恩返しすらないのでは。お互い様の気持ちや良いコミュニティの構築。これは恩送り以外ないだろう。

会社の賃上げも社員に還元するから自分に返ってくる。

産んで育ててくれた両親と社会にその恩を受け、自分も子どもを産む。

育ててくれた周りの人や先輩からの恩をいまの後輩や周りの人に。それがないから若い人が育ってない。

会社も利益を上げているのにその利益を社員と社会に還元しない。(法人税払えばいいと思ってる。さらに法人税さげろとまで)

経済力があるのに子どもはいらないと、親と社会に恩を仇でかえしている。なんなら税金下げろと意味不明な事をいう。

周りに経験知識を伝えず個人持ちにする。

これら全てペイフォワードの考えとは真反対と感じる。

これは現代のコミュニケーション不足が背景のひとつであろう。

大概問題は当該者で解決しない。第三者が加わる事でやっと解決の方向へ向かう。その第三者が加わる事なく問題に蓋をする、もしくは先送り、切除、凍結。これではなにもプロセスがない。コミュニケーションがないまま恩送りをしていない。すべてワガママなのである。

これが豊かな現代の産物なのか、それともペイフォワードが古き良き時代の遺物なのか。

 

日本でよくあるケース。「いままで〇〇にお世話になってきました。恩がえしとして〇〇に貢献できるような仕事をしていきたいです。」

これは恩返し。これは借りたものを返す感覚なので少し違う気がする。大きくは一緒なのだろうが。ペイフォワードは〇〇に返すのではなく△△に渡していくこと。輪を広げることが大きなポイントである。

無償の感謝とか、奉仕とか、ボランティアなど利益ありきの観点ではなく、今まで受けた恩を次へ渡すだけのこと。

ペイフォワード。全国の中学で教材にしてほしい。

7.0